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2015年07月03日

私たちは政治の主役であるということ

私もご多分にもれず、子供のころから成人してからも、政治というのは遠い世界の話にしか思えませんでした。
小学校のクラスメイトに「将来の夢は政治家だ!」と堂々と言っていた子がいましたが、当時の私にはピンとこないし、「何言ってんだろ?」と、冗談でも聞いている気分でした。
成人してからも政治にははっきり興味を示すことはありませんでしたね。
でも、なぜか選挙には欠かさず行っていました。成人してから国政地方問わず、全ての選挙に投票したのはほんのささやかな自慢です(笑)
みなさんは政治の動きをはっきり認識し始めたのはいつでしょう? 
私は覚えているのですが、あれは麻生政権の末期でした。
テレビでは政権交代がどうとか、麻生首相が漢字が読めないからどうとか、民主党は期待できるとかどうとか、そんな話がやたらと盛り上がっていました。
完全に後だしじゃんけんなコメントになりますが、当時私は麻生首相に悪い印象は持っていませんでしたし、鳩山さんや管さんの佇まいや発言を見るにつけ、
「この人たちには無理じゃね?」
と、ぼんやり思っていました。完全にイメージでの決めつけです(笑)
とはいえ、周囲は麻生はダメだ、一回やらせてみるべきだ、とテレビと全く同じ論調になっていて、政治の勉強などまったくしていない私は、考えを言葉にすることはありませんでした。
投票は自民に入れるのがささやかな抵抗でしたがw
その後はご存じのとおり、三年間の民主党政権を経て自民党政権に戻ってきましたが、ここまでの流れを見て一番強く思ったのが、
「私たち国民が勉強不足なのではないか」
ということでしたね。
私たちの国は民主国家ですから、多数決で物事が決まります。それに対して何も反論はありません。
が、その多数決の決め方が、私は非常に疑問です。
麻生政権末期から民主党政権への強烈な風が吹き(もしくは吹かせ)、政権担当能力のない人たちが権力を握りました。
結局民主党ではだめだということになり、自民に政権を再び担当させる際、私たち国民ははたして反省したのでしょうか?
民主党に政権を持たせたときのように、またしても「風」で自民党に政権を渡したのではないでしょうか。
政治家、支援団体、学者、評論家、何らかの形で政治に近い人たちは当然反省すべきです。
しかし、もっとも反省しなければならないのは、私たち一般人なのではないでしょうか?
民主党に流れた時と、自民党に再び流れた時。この二回の政権交代は、全く同じ動機で起こったような気がしてなりません。
「気分」と「イメージ」と、「ないものねだり」の結果ではないでしょうか?
政治家は理想を語りますが、政治に理想はありません。
私たち一般人は、 その中からもっとも理想に近く、もっとも現実的な手段を選ばなければなりません。
その選択の責任は、 政治家ではなく私たち一般人が取ることになるのを、私たちは理解できているのでしょうか?
政策が失敗した時、多くの人は政治家のせい、つまり他人に責任を押し付けます。
私には違うような気がしてなりません。
誤ったのは政治家ではなく、政治家を選んだ私たちなのです。
政治家の失政は私たちの無知と失策なのではないでしょうか。

どの政党を支持し、どの政治家を支援するのか、それは全ての人の権利であり、自由です。
しかしながら、私たちはその政党と政治家がどのような公約とマニフェストを掲げているのか、きちんと理解して投票しているのでしょうか?
政治家の提案した法案を実現するのは私たちです。それが失敗した際には、政治家には落選、失業という形で責任を負わせます。
そして私たち一般人は、生活での不利益でその責任を負うのです。

バブル崩壊からの不景気と、そこから脱出しようとしてなかなか上手くいかない今の状況。
はたしてそれは、政治家だけの責任なのでしょうか?
私は出来るだけ考え続ける一般人でありたいと思います。


 

tsuhoyo at 08:00│Comments(0)コラム 

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